60歳からの知恵と体験の交流誌「さすが&されど」。シニアが主役の投稿誌です。http://www.hongopub.com/

2010/6/2

〈特集A私の宝もの〉  シニア


〈特集A私の宝もの〉父の玉手箱/海老沢久子

 ある時、押入れの上の物入れの中を覗くと、少し黒ずんだ桐の箱が、奥の方に大切に保管されていた。私は、玉手箱を探し当てたように胸がときめいた。中を開けて見ると、そこには歳月を経て茶色く変色した、もう用済みの古い土地の権利書や預金通帳が何冊も出てきた。昭和11年〜12年の宮田自転車の抽選販売御通帳。自転車1輪52圓。毎月の掛金3円50銭。私が誕生した年だから、今から73年前の値段である。
 現代でも10数年前と比較すると、自転車も大分格安になってきたと思う。この間、娘がかご付きの自転車を購入したが、普通の品物で3万円以下で買えた。73年前と比較すると、約5百倍だろうか。現代では手軽に手に入る自転車だが、その当時は貴重な物であったことが、この預金通帳から察しが付く。
 亡き姉の名義のダルマ貯金。田無國民學校兒童國民貯蓄組合、この長い旧漢字の下には「塵も積れば山となる、貯金は身の爲、國の爲」とある。毎月の掛金は5圓43銭。姉の誕生日から逆算すると、12、13歳だろうか。証書の裏の「要約」には、「戦時財政經済政策ニ協力シ組合員一致団結シテ貯蓄報國ノ實の擧グルヲ以テ目的トス」とあった。
 この時代の背景には太平洋戦争があり、国民が一丸となって勝利を信じ、努力を惜しまなかったようだ。それを表わしたのが、学徒出陣。「太平洋戦争下の1943年、労働力不足を補うため、学生、生徒に対して強制された勤労動員、戦争の深刻化につれ1944年には、学徒勤労令が出され、中等学校以上のほぼ全員が軍需工場などに動員配置した」(広辞苑)。
 姉の思い出のアルバムの中にも、矢羽根の絣のモンペに筒袖の上下、胸には氏名。少し大人びた姉の写真が残っていた。その他、父の名義の興亞貯金通帳の月掛け預金4圓弐銭。昭和16年頃のものや青果物通帳などが何冊も収まっていた。
 父は骨身を惜しまず働き、こつこつと預金をし、そんな汗の結晶の結果得たお金で、土地を毎年僅かずつ殖やしていった。父の生き方の痕跡を、この眼でこの玉手箱から実感した。また、父の三十三回忌の法事の席で、市会議員を何期も務めた親戚のMさんにお酌をしながら、「Mさんも男の夢を実現したが、父も形は違うが、男の夢を実現することが出来たと思う」と、父親っ子の私は失礼なことを言ってしまったことがある。お酒は嗜む程度、旅はしない、実直で働き者だった父。「何が楽しいの」と思っていたが、男の夢とはそんなちっぽけなことではない、と女の私にも多少なりとも理解できた時だった。
 父の玉手箱の中には、ダイヤも宝石もきらきら光る物は何一つ入っていなかったが、着流し姿の若き日の写真が発見された。娘はおもむろに、長男と次男を2で割ったような顔だとの感想であったが、歳月は川の流れのように早く、もう来年は亡父の五十回忌に当たる。私は思い出を綴ることが出来、何よりの供養と自己満足しているが、亡父はきっと苦笑しているだろう。私は、またそっと、玉手箱の古い桐の箱を元に戻しておいた。
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2010/5/31

〈特集A私の宝もの〉  シニア


〈特集A私の宝もの〉父のカメラ/長岡和子

 私の手元にドイツ製の古いカメラがある。皮のケースに収まっている一眼レフで、絞りもピントも全ての操作が手動という、私には扱いかねる代物だ。34年前に亡くなった父の遺品である。
 実家の古い家を処分した際に、戸棚の奥から出て来たもので、さすがにこれは捨てられず、私が引き取って今に至っている。
 ある時、このカメラがまだ使えるものか、詳しい人に見てもらおうと思い立ち、街の写真店にへ持参してみた。
 穏やかな風貌の老年の写真屋さんは、くだんのカメラをなでさするようにして、
 「戦前のライカは日本に数台しかない貴重なもので、当時1台で家1軒買えるほどの価格でした。写真を撮る者はどんなに欲しくても、手が出なかったものです」
 と話す。こちらが驚いて身を乗り出すと、
 「ただ、長い間使っていらっしゃらなかったようなので、このまま使えなくもないが、オーバーホールをされた方がいいでしょう」
 オーバーホールには10万円ほどかかり、現在では新しいライカをそのくらいで購入できるという。
 「このままの状態で売却するとしたら、いくらで売れますか」
 「1万円ぐらいですね」
 このあっさりした返事に、私の欲の皮はたちまちしぼんでしまったが、
 「ケースに収める時は、ピントを∞(無限大)のマークのところに合わせます」
 という最後の説明で、幼い頃の記憶が忽然とよみがえってきた。
 確かに私は父からそう教えられ、カメラケースにしまう仕事をさせてもらっていた。∞の意味も、その時教わり覚えたのである。
 父は商社マンで、戦前はラングーンや上海で働いており、かなり豪勢な暮らしをしていたというから、その時代に購入したものだろう。戦中戦後の激動の時を経て全てを失い、これは当時の派手な生活の唯一の遺物だったに違いない。戦後生まれの私は貧しい生活しか知らないので、父が年中首から下げて歩いていたこのカメラが、そんな貴重なものとは思いもしなかった。
 それにしても父の撮影技術は今一つだった。
 8人家族のわが家には、休日に揃って郊外へ遊びに行く習慣があり、父が皆を並べて写真を撮るのだが、
 「入り切らないから、もっと寄って」
 と全員をしきりに集めて写すのだ。それなのに、出来上がった写真は片側半分に大きな空間があり、反対側半分に皆が押し合いへし合いという感じで並んでいる。たまに上手く中央に写っていても、頭の上が欠けてなかったりと、貴重なカメラが気の毒な技術であった。
 それでも、父の楽しみは子どもたちの写真を撮ることで、暇さえあれば、
 「写真、撮ってやろう」
 と、皆に迫るのだ。
 時がたち、兄や姉たちが進学したり結婚したりで家を出て行き、残った末娘の私がいつもカメラの前に立たされていた。
 思春期で自分が美しくないと自覚していた私は、それが嫌でならなかった。実際、その頃の写真を見ると、どれも私は仏頂面をしている。今にして思えば、もっと嬉しそうな顔で写してもらえればよかった。父にもカメラにも申し訳ないことをした。
 何となくカメラに詫びたい気持ちになって、レンズを磨いたり、勉強して何かを写してみようかと考えたりしている。もし、良い写真が撮れたなら、50年前の「罪ほろぼし」になるだろうか、と思うのである。
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2010/5/27

〈特集@街を歩けば〉  シニア


〈特集@街を歩けば〉
 バス停30分間の人間模様/北村とも子

 友人の家に用事があり、出かける前にバス停の時刻表を見る。バスは伊勢崎駅前より発着、1番から10番が、東西南北の路線に分かれ市内を巡回する市営の無料バスで、老人や学生が多く、町村合併で郊外の農村から利用する人も多い。
 私は北回り6番で駅前で降り、南回り5番に乗り換える。5番が来るまで30分待たねばならない。ベンチに座っているとティッシュを配っている人が、私の膝の上に置いて行った。太い字で〈新宿まで1000円、ご利用下さい〉。安いと思ってみると、横に小さな字で「中高生割引」と書いてある。全国的に知られている若者の街・原宿、地方の若者を誘い込むバス会社の抜け目のない商戦だ。10名ほどの女子学生が、ワイワイ、行こう、とシャベリあっていた。
 旧国定村を回って2番のバスが入って来た。老いた男女が降り、女子学生が乗り込み5分ほどして発車した。空いたベンチの私の隣りに、2番から降りたおばあさんが座った。
 しばらくして、お連れの男の人がタバコを吸いながら、おばあさんの横に座り、怒っていた。
 「人を馬鹿にして!」
 「どうしたん?」
 「便所に行ったら、男のトイレは向こうだと言われ、わしは女だと怒鳴ってやった」
 私はびっくりした。黒づくめの服装、黒い帽子、ゴム長靴、どう見ても男に見える。
 「だから、街へ出る時は派手な服を着てこいと言ったろうに」
 「ババァが赤かえ服なんか着れっかよ」
 赤城山麓の村で田畑を耕し、着飾ることなく人生を送ってきたのだろう。
 「天気が良いのに、どうして長靴なの?」聞くと、
 「広瀬川にシジミ採りに行くんさ」
 そこへ、広瀬川方面に行く7番が来た。
 「たくさん採ってね」
 「あいよ」
 2人はバスに乗り、私に手を振って行った。
 空いたベンチに、老いた男性2人が座った。
 「ヒロさんの具合はどうだい?」
 「もう駄目かも知れない。俺も疲れたよ。寝たきりの介護4年だからな」
 「仕方ないよ。若い頃、さんざんヒロさんを泣かしたんだからな、償いだよ」
 言われた男性はうなだれていた。この年代の男性は、浮気は男の甲斐性と言って、妻を思い遣ることはなかった。
 妻は忍従の一生を終えようとしている。余命少ない病床で、見舞いに来た友人の前で、夫の顔を涙を流して叩いたと言う。
 聞いて胸が熱くなった。夫婦という枷から逃れられなかった昔の女性を思うと、現代は解放され、自分中心に考える人が多くなったと思う。その気持ちも分かるけど、人を愛せなくなった女性も不幸だと思う。
 春寒く我が身の罪に泣く日かな
 作家の佐藤愛子さんの俳句だが、父が放蕩で家族を省みず、老いて子供に泣かされる姿を見て作った俳句だ。思い出していたら、南回り5番バスが来た。街に出ると、30分待つ間に、いろいろな人間模様が見える。友人の家の隣は公園で、桜が満開だった。居ながらにお花見が出来て楽しかったが、人生の暗さを聞いたりで、複雑な一日だった。 
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2010/5/24

〈特集/街を歩けば〉電車の中で見た光景  シニア


〈特集/街を歩けば〉
 電車の中で見た光景/時尾 松子

 学校の春休みが始まって間もなくの頃、私は用事があって千葉まで出かけたが、その帰りの地下鉄の中で目にした出来事である。
 西船橋辺りではかなり混んでいた車内も、都内に入る頃には空いてきて、向かい側の席が見えるようになった。3人掛けのその席には、50歳代のオバサンを真ん中にして両側に子どもがいたが、左側の男の子は軽度の障害児らしく、たどたどしい口ぶりでしきりにオバサンに話しかけている。オバサンが優しく相手をしてくれるのが嬉しいようだ。後姿しか見えないが、男の子の前に立っているのが母親らしく、オバサンに向かって恐縮しながら、子どもの口元から流れる涎を絶えずタオルで拭いてやっている。
 入り口に近い方の右隣りの席には、幼稚園児ぐらいの女の子が眠り込んでいる。こちらが、どうやらオバサンの孫なのだろう。オバサンの膝の間に大きな紙袋が2つ置かれているのを見ると、多分、この2人は近郊から早朝に家を出てきたものらしく、おばあちゃんに東京へ連れて行ってもらえることで、女の子も初じめは大はしゃぎだったのが、電車に揺られているうちに疲れて寝込んでしまったようだ。こういう場面に出会うと、私はつい勝手な想像をどんどん膨らませて、独りで楽しむ変な癖がある。
 やがて、母親の方は次の駅で降りるらしく男の子を促すと、別れ難い様子で何度も振り返りながら下車して行った。オバサンも手を振って見送っていたが、今度は自分も次の駅で降りるために支度をはじめて、隣の女の子を起こそうとするが、どんなに揺すっても一向に目を覚ます気配がない。電車は次第に徐行をしながらホームに近づいて来る。慌て出したオバサンは何度も大声で呼ぶのだが、両手に荷物を持っているので抱き起こすことも出来ない。周りの人たちもはらはらしながら見ている。そのうちに停車して、ドアが開き出した。遂にたまりかねたのか、一人の若者が、いきなり女の子の両腕をつかんで立ち上がらせて、そのまま引きずって出口に向かった。続いてオバサンも出ようとしたところに、乗り込んできた客とぶつかってしまい、後はどうなったのか私の席からは見えなかったが、暫くして、電車は何事もなかったかのように動き出した。どうやら、無事に下車できたようだ。一瞬の緊張が解けてほっとした空気が流れたが、あの若者はうまく車内に戻れただろうか?
 バスや電車に乗ると、いろいろな人や出来事に遇うことが多い。都心よりも、むしろローカル線の方が飾り気のない人間味が窺えて私は好きだ。中には不愉快な思いをさせられるときもあるが、この日は思いがけなくも、素朴で優しいオバサンに話しかけていた障害児の無垢な笑顔と、眠りこけている女の子を、とっさの判断で引きずり出した若者の勇気ある行動を目撃して、久しぶり清々しい感動に浸りながら帰ってきた。   
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2010/4/28

パロディ〈吾輩物語〉  シニア


〈吾輩物語〉吾輩は〈クラス会〉である/大船のりお

 卒業や入学のこの時期、郷愁を誘うせいか、吾輩の出番が多い。新聞には「昭和○年△小学校卒業の皆さんへ」と、呼びかけが引きも切らず、卒業後何10周年、還暦、古稀、喜寿、傘寿など、人生の大きな節目での開催が目立つ。長寿社会の縮図、結構なことではないか。
 人気は、やはり小学校の吾輩だ。気兼ねなく、「ちゃん」付けの頃にタイムスリップできるからだろう。その上、意外性がある。チョロチョロしていたヤツが、堂々たる経営者になって羽振りよく、おとなしかった女生徒が、口八丁手八丁のNPOの代表だったりして驚く。札付きのワルが、凛々しい警官に変身していたのには、恩師が目を丸くしていた。
 何10年ぶりに顔を会わせる竹馬の友の変貌ぶりには初め戸惑うが、盃を交わすにつれ、不思議に昔の童顔が見えてくるものだ。もっとも、
 仇名出て名前が出ないクラス会
ということもある。遅刻常習犯で、理由を低血圧ならぬ「低気圧」と言い訳した男はさっそく〈低気圧〉、ONEを「オネ」と発音した生徒は、今でも〈オネさん〉だ。同じカマのメシならぬ〈ムジナ〉もいたな。
 吾輩では、専ら、思い出、病気(健康法)、孫自慢の3つに話の花が咲く。さすが世代ともなると、病気の1つや2つは経験しているから、知識も豊富で、加えて、自論を譲らないのが必ずいるのも、無礼講の吾輩ならではの特徴だ。
 専門医年ごとふえるクラス会
 女性陣も負けてはいない。昔、胸を焦がした彼女も、すっかり枯れて、
 マドンナも持病を語るクラス会
 孫自慢は、ほどほどがよいようだ。
孫が可愛くないジジババはいないだろうが、周りの雰囲気を見ながら開陳するのが、大人の振る舞いというものだろう。その代わり、家でこぼせぬ愚痴は大いに発散すべし。ある吾輩では、「嫁の時には舅、姑の顔色を窺い、今は、嫁に気を遣って」いる話が、圧倒的な同調者を得て、盛り上がっていたぞ。〆は定番の「故郷」の合唱。涙ぐむコワモテもいて、吾輩のお気に入りのシーンだ。
 諸君、吾輩で、また幼い日の夢を見るためにも長生きしようぜ!
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