おもひたつ【思立】
室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「於」部に、標記語「思立」の語を未収載にする。
古写本『庭訓徃來』二月廿三日の状に、
花下好士諸家狂仁如雲似霞遠所花者乗物僮僕難合期先近隣之名花以歩行之儀
思立事候雖爲左道之樣以異躰之形明後日御同心候者本望也〔至徳三年本〕
花下好士諸家狂仁如雲似霞遠所之花者乗物僮僕難合期先近隣之名花以歩行之儀
思立事候雖爲左道之樣以異躰之形明後日御同心候者本望也〔宝徳三年本〕
花下好士諸家之狂仁如
レ雲似
レ霞遠所之花者乗物僮僕難合期先近隣之名花以歩行之儀
思立事候雖爲左道之樣以異躰之形明後日御同心候者本望也〔建部傳内本〕
花ノ下(モト)ノ好士諸家ノ狂仁如ク
レ雲ノ似タリ
レ霞ニ。遠所ノ之花ハ者乗物僮僕難シ
二合期シ
一先ツ近隣ノ之名花以テ
二歩行ノ之儀ヲ
一思ヒ立ツ事候雖トモ
レ爲リト
二左道ノ之樣
一以テ
二異躰ノ之形チヲ
一明後日御同心候ハヽ者本望也〔山田俊雄藏本〕
花下ノ好士諸家ノ狂仁如ク
レ雲ノ似タリ
レ霞ニ。遠所之花ハ乗物僮僕難シ
二合期シ
一先ツ近隣之茗花ハ以テ
二歩行之儀ヲ
一思ヒ立ツ事ニ候雖モ
レ爲リト
二左道之樣
一以テ
二異躰之形ヲ
一明後日御同心候ハヽ者本望也〔経覺筆本〕
×〔文明四年本〕
と見え、標記語「思立」で訓みを山田俊雄藏本・経覺筆本に「思ヒ立ツ」と記載する。
古辞書では、院政時代の三卷本『色葉字類抄』(1177-81年)・鎌倉時代の十巻本『伊呂波字類抄』には、標記語「思立」の語は未収載にする。
室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には未収載にする。広本『節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、
思(ヲモイ)
立(タツ)
シ、
リウ。
[平軽/去・入]〔態藝門222E〕
とあり、印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本・両足院本『節用集』には、標記語「思立」は未記載にする。
易林本『節用集』には、
思殘(オモヒノコス) ―出(デ)。―分(ワク)。
―立(タツ)。―成(ナシ)。〔於部言辞門127A〕
とあって、標記語「思殘」の割り注記熟語群に「思立」の語を収載し語注記は未記載にする。
このように、上記当代の古辞書においては、広本『節用集』、易林本『節用集』には、標記語「思立」の語を収載し、下記に示す『日葡辞書』にあって、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。
さて、真字本『庭訓往来註』二月廿三日の状には、
048先ツ近隣ノ名花(クワ)ハ以
二歩行ノ義ヲ
一思立亊候 歩行ハ非
二徒歩之義
一裹頭之義也。〔謙堂文庫藏九右@〕
とあって、標記語「思立」の語を収載し語注記は未記載にする。
古版『庭訓徃来註』では、
花ノ下(モト)ノ好士諸家ノ狂人如クレ雲(クモ)ノ似(ニタリ)
レ霞(カスミ)ニ。遠所(エンジヨ)ノ之花ハ者(―)乗物(ノリモノ)僮僕(ドウボク)難(ガタ)シ
二合期(ガウゴ)シ
一先ツ近隣(キンリン)ノ之名(メイ)花以テ
二歩ブ行之儀ヲ
一思ヒ立ツ亊ニ候雖ヘトモ
レ爲(タリ)ト
二左道ノ之樣(ヨウ)
一以テ
二異躰(イテイ)之(―)形(カタチ)ヲ
一明後(ゴ)日御同心候ハヽ者本望(マウ)也花ノ下(モト)好士(カウジ)ハ其比ノ代ニハ。名花木ニハ。級主樹(キウシユジユ)トテ達(タツ)シケル者ヲ主(アルジ)ト定ラレシナリ。花盛(ザカ)リニハ彼(カレ)ガ許(モト)ニ集(アツマツ)テ會ヲ仕興シテ發ヲシテ遊フ也。其比ノ好士ト謂(イヒ)習ハシタリ。狂仁(キヤウジン)ト云者ハ。餘ノ事ヲ捨(ステ)テ。花ニ心ヲ移(ウツ)シ營(イチナ)ム。渡世(トせイ)ヲモ目ニ懸(カケ)ス。花ノミヲ心ロニ懸テ狂(クル)ヒ行ク人ヲ狂人ト云也。〔6オB〜G〕
とあって、標記語「思ヒ立ツ」の語を収載し上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の訂誤『庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、
難(がたし)
二合期(かふこし)
一先(まづ)近隣(きんりん)之(の)名花(めいくわ)以(もつて)
二歩行(ほかう)之(の)儀(ぎを)
一思(おもひ)立(たつ)事(ことに)候(ざふらふ)/難
二合期
一先近隣之名花以
二歩行之儀
一思立事候。〔7ウ〕
とあって、この標記語「思(おもひ)立(たつ)」の語を収載し語注記は未記載にする。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
花(はなの)下(もとの)好士(かうし)諸家(しよけの)狂仁(きやうじん)如(ごとく)
レ雲(くもの)似(にたり)
レ霞(かすミに)遠所(ゑんしよ)之(の)花(はな)者(ハ)乗物(のりもの)僮僕(どうほく)難(がたし)
二合期(かふこし)
一先(まづ)近隣(きんりん)之(の)名花(めいくわ)以(もつて)
二歩行(ほかう)之(の)儀(ぎを)
一思(おもひ)立(たつ)事(ことに)候(ざふらふ)雖(いへども)
レ爲(たりと)
二左道(さたう)之(の)樣(やう)
一以(もつて)
二異體(いてい)之(の)形(かたちを)
一明後日(ミやうごにち)御同心(ごどうしん)候(さふらハ)者(バ)本望(ほんまう)也(なり)▲花下ノ好士とハ花(はな)に心を移(うつ)し詩歌(しいか)をもてあそぶ風流(ふうりう)の人をいふ。諸家狂仁といへるも同く美景(びけい)に浮(うか)れて所々春(はる)を探(さぐ)る雅遊(がゆう)の徒(と)なり。俊成卿(しゆんぜいきやう)の哥(うた)に甜花さかり四方(よも)の山邊(やまべ)にあこがれて春(はる)ハ心の身(ミ)にそハぬ哉と讀(よめ)る類(たぐひ)なり。〔9オ@〜E、9ウ@〜A〕
とあって、標記語「思(おもひ)立(たつ)」の語を収載し語注記は未記載にする。
当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、
Vomoitachi,tcu,atta.ヲモヒタチ、タツ、ッタ(思ひ立ち、つ、つた)思う、または、あれこれと考えめぐらす。¶Qio
†Vomoitachi,tcu,atta.* ヲモヒタチ、タツ、ッタ(思ひ立ち、つ、つた)¶また、何事かをしようと思い定め決心する、または、それをし始めたいと思う。〔邦訳711l〕
とあって、標記語「思立」の語を収載し、意味を「思う、または、あれこれと考えめぐらす」「また、何事かをしようと思い定め決心する、または、それをし始めたいと思う」と記載する。
明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、
おもひ‐た・つ[おもいた・つ]〔自動、四〕【思立】更に新たに思ふ。發意。古今集、八、離別「朝なげに、見べき君とし、頼まねば、
思ひたちぬる、草枕なり」〔1-544-2〕
とあって、標記語「おもい-たつ【思立】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、
おもい‐た・つ[おもひ:]【思立】[一]〔他タ五(四)〕@ある事をしようという考えを起こす。発起する。決意する。決心する。*古今和歌集〔九〇五〜九一四〕離別・三七六「朝なけに見べき君としたのまねば
思立(おもひたち)ぬる草枕なり〈嗚〉」*蜻蛉日記〔九七四頃〕上・安和元年「かくて、年ごろ願あるを、いかで初瀬にと
おもひたつを」*徒然草〔一三三一頃〕五九「大事を
思ひたたん人は、去りがたく心にかからん事の本意を遂げずして、さながら捨つべきなり」*浮世草子・好色五人女〔一六八六〕一・四「年浪の日数を立うき世帯もふたり住ならばと
おもひ立、取あへずもかり衣」*清兵衛と瓢箪〔一九一三〕〈志賀直哉〉「僅かの金に困った時に不図その瓢箪をいくらでもいいから売ってやらうと
思ひ立って」A意気込む。気負う。自負する。*狭衣物語〔一〇六九〜七七頃か〕三「我はと
思ひたち、車どもの御簾下させて過ぎさせ給ふ、なほいと気高し」[二]〔他タ下二〕決意する。決心する。*有明の別〔一二C後〕下「我御くらゐのほど、人の御すくせ、いづれとてつつましからぬならねど、宮の御心などをおぼすに、こよなく
思たてたるを、猶いと物しめやかなるほどに、〈略〉気色いとみまほしきに、さりとて、いかにたどりよるべきにもあらず」【
発音】〈標ア〉[0][モ][タ]〈京ア〉[0]【
辞書】文明・易林・日葡・ヘボン・言海【
表記】【思立】文明・易林・ヘボン・言海
とあって、標記語「おもい-たつ【思立】」の語を収載し、『庭訓徃來』のこの語用例は未収載にする。
[
ことばの実際]
○〔原文〕但於上洛者、更不可依此事于今不上洛、「朝暮待思食之處、今年又空止畢、返々遺恨」只可
思立之由、可斗仰遣之旨候也〔訓み下し〕但シ上洛ニ於テハ、更ニ此ノ事ニ依ルベカラズ。今ニ上洛アラズ、「朝暮待チ思シ食スノ処ニ、今年又空シク止ミ畢ンナバ、返返遺恨ナラン」。只
思ヒ立タルベキノ由、計ラヒ仰セ遣ハスベキノ旨ニ候フナリ。〔『吾妻鏡』建久元年九月廿日條〕



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