60歳からの知恵と体験の交流誌「さすが&されど」。シニアが主役の投稿誌です。http://www.hongopub.com/

2010/5/31

〈特集A私の宝もの〉  シニア


〈特集A私の宝もの〉父のカメラ/長岡和子

 私の手元にドイツ製の古いカメラがある。皮のケースに収まっている一眼レフで、絞りもピントも全ての操作が手動という、私には扱いかねる代物だ。34年前に亡くなった父の遺品である。
 実家の古い家を処分した際に、戸棚の奥から出て来たもので、さすがにこれは捨てられず、私が引き取って今に至っている。
 ある時、このカメラがまだ使えるものか、詳しい人に見てもらおうと思い立ち、街の写真店にへ持参してみた。
 穏やかな風貌の老年の写真屋さんは、くだんのカメラをなでさするようにして、
 「戦前のライカは日本に数台しかない貴重なもので、当時1台で家1軒買えるほどの価格でした。写真を撮る者はどんなに欲しくても、手が出なかったものです」
 と話す。こちらが驚いて身を乗り出すと、
 「ただ、長い間使っていらっしゃらなかったようなので、このまま使えなくもないが、オーバーホールをされた方がいいでしょう」
 オーバーホールには10万円ほどかかり、現在では新しいライカをそのくらいで購入できるという。
 「このままの状態で売却するとしたら、いくらで売れますか」
 「1万円ぐらいですね」
 このあっさりした返事に、私の欲の皮はたちまちしぼんでしまったが、
 「ケースに収める時は、ピントを∞(無限大)のマークのところに合わせます」
 という最後の説明で、幼い頃の記憶が忽然とよみがえってきた。
 確かに私は父からそう教えられ、カメラケースにしまう仕事をさせてもらっていた。∞の意味も、その時教わり覚えたのである。
 父は商社マンで、戦前はラングーンや上海で働いており、かなり豪勢な暮らしをしていたというから、その時代に購入したものだろう。戦中戦後の激動の時を経て全てを失い、これは当時の派手な生活の唯一の遺物だったに違いない。戦後生まれの私は貧しい生活しか知らないので、父が年中首から下げて歩いていたこのカメラが、そんな貴重なものとは思いもしなかった。
 それにしても父の撮影技術は今一つだった。
 8人家族のわが家には、休日に揃って郊外へ遊びに行く習慣があり、父が皆を並べて写真を撮るのだが、
 「入り切らないから、もっと寄って」
 と全員をしきりに集めて写すのだ。それなのに、出来上がった写真は片側半分に大きな空間があり、反対側半分に皆が押し合いへし合いという感じで並んでいる。たまに上手く中央に写っていても、頭の上が欠けてなかったりと、貴重なカメラが気の毒な技術であった。
 それでも、父の楽しみは子どもたちの写真を撮ることで、暇さえあれば、
 「写真、撮ってやろう」
 と、皆に迫るのだ。
 時がたち、兄や姉たちが進学したり結婚したりで家を出て行き、残った末娘の私がいつもカメラの前に立たされていた。
 思春期で自分が美しくないと自覚していた私は、それが嫌でならなかった。実際、その頃の写真を見ると、どれも私は仏頂面をしている。今にして思えば、もっと嬉しそうな顔で写してもらえればよかった。父にもカメラにも申し訳ないことをした。
 何となくカメラに詫びたい気持ちになって、レンズを磨いたり、勉強して何かを写してみようかと考えたりしている。もし、良い写真が撮れたなら、50年前の「罪ほろぼし」になるだろうか、と思うのである。
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