昨日日曜午後6時58分
マコロンさんこと原田さんが肺塞栓により亡くなったとの突然の訃報に悲しんでおります。
出会いは二十歳頃、岐阜自動車倶楽部とゆう名でイベントをして
「よくもまぁそんな大胆なクラブ名が使えるね!」
って仰ってくださったのが原田さん、この事を思い出すとほんとそーだよなぁって共感します。
ガレージに蛇が出たと慌ててTELしてきた事もありました。
逃げてゆきますよって言うのに、どーしても来てほしいと頼まれ、行った頃には案の定ヘビは居ないのに、とても怖がってたのが印象的でした。
(狭角載せる前の)Myジュリアのエンジンルームを見て
「土みたいなエンジンルーム」
って大笑いされたのも忘れられません、調子は良いものの40年掃除もされないままのそれが恥ずかしくてボンネット開けれない私だったので、心の奥を読まれてるような気持ち良い位ズバリな指摘でした。
狭角エンジンを載せたのを見てとても気に入ってくださり
「オタフクにしようよ!コレが載ってるなら絶対オタフクだよ!」
って私より先にモディファイ予想図をたてた原田さん
私の足車のティグラも「良いねぇ」って褒めてくださったのも実は嬉しかったんですよ!
ラヴォイタに参加してくれた後日
「(1コーナー)壁に向かって走るのは怖い!」
って言いつつも果敢に走ってくださり、展示イベントはちょっとなぁって言いつつイタジョブにも来てくださり(実はコソッと協賛品くださってたんです)、いろんな方に私の事をイタリア車を盛り上げようと頑張ってる変態って紹介してくださってたのが、原田さんに認められた様で嬉しかった。
今年はカート大会参加するよ!って仰ってくださってたのに・・・
一度も原田さんにレース勝てないままなんだよなぁって思ったり、もっと原田さんが「良いねぇ」っと褒めてもらえるイベントを主催したかったなぁ
30年近く何度もお会いしてるのに写真は
1997年富士ジャンボリーのこの1枚だけ。
当時と今も全然お変わりなく、ジュリアで初レースの際、公認スーツが無くて写真の原田さんが着ているスタンド21のを借りたのも懐かしい記憶。
辛口で、毒舌でしたが、いつガレージをフラリと訪れても色んな話を聞かせてくださる大先輩であり、羨ましいなぁって憧れでもありました。
最後にお会いしたのが原田さん主催の忘年会、とってもお元気で昨年訪れたグッドウッドで買われたお気に入りの帽子が似合ってて、まだまだ聞きたいこと一杯あったのに・・・・残念でしかたありません、今まで有難う御座いました。
ご冥福をお祈りします